僕の心象

1000年に一度の星空みたいだね

スティードを読んだが感想は書けぬ。

 

突然文章を書きたくなった。

ずっと「何かブログを書きたいな〜何について描こうかな、」と悩んではいたが、

フォロワーさんがスティードの感想を書いていたのを見て

「あ 書こう」と思った。

早くやるべきことを終わらせて(3分で終わらせた)パソコンを開こうと急いだ。

 

 

 

しかし、私は本を読んだ感想をブログにできるほどの文章力も表現力も、文章にしなきゃと思うほどの深い読み方をする力もない。

私は自分のことを書きたい。

 

 

 

 

私は自尊心がとても低いと自負している。

これについては書くととても長くなるので割愛するが、

『できることならスティードで』を読んで、そんな自尊心の低い自分を変えるにはやはり経験を積むことが必要だと再確認した。

 

 

私は大学1年生の秋頃にNEWSを好きになった。

それまではCDを続けて購入したりコンサートの映像を買ったり、実際にコンサートに足を運んだりするほど好きな芸能人はいなかった。

好きな歌手はいたがCDはレンタルでも構わなかった。

 

好きな歌手の歌をずっと聴いて、その人以外の音楽にはあまり触れないで、飽きるまで聴いて、

でも今思うと、本当に好きだったけど、熱中ではなかったと思う。

同じ音楽しか聴かないから、ほかに聴く音楽がなかっただけだ。

 

芸術に触れるということに関連すると、例えば映画も沢山観るわけではないし、テレビも長い時間観ているのは得意じゃない。

 

本も、「読書家です」なんてお世辞にも言えないほどしか読んでいないと思う。

 

好きなことは、強いていうならサックスを吹くことだった。

中学から部活でサックスを吹いていて、勉強は普通より少し上くらいで運動は苦手な私にとって、好きと言えるものは楽器くらいしかなかった。

きっと本当に好きではあったけど、大して上手に吹けなかったのは周りの人に比べて熱中していなかったからだと思う。

自分の下手さに気づくのが遅かったのも、色んな人の演奏を聴く機会が少なかったからだ。

 

今、楽器を吹くことに対して、気持ちの温度の低さを実感している。

 

 

練習時間が楽しいことはあったが、練習自体がそこまで好きではない。

というか、努力、我慢、忍耐、そういった事が本当に得意ではない。

 

めんどくさい、といったことは誰でも思うのかもしれないが、

私はそれより、自分にできることには限界があると思っていて、だから頑張る気力さえ大して無いのだ。

 

さすがにある程度、頑張っているようにみえるくらいの努力はできる。

だから部活でみんなと同じような辛い経験もできたし、仲間と協力もしたし、仲のいい友達もいる。

 

だけどやっぱり、今思うと、当時も気づいていたけど、私は自分のポンコツさを知っているから、どこか冷静すぎるような場面もあったし、

アツくなりすぎた後に、「熱が入りすぎたな」と思うような感覚が出てきたことは何度かあったのではないかと思っている。

もう大学4年生になってしまった。だから高校生の時のことはあまり覚えていない。

 

あらゆることに対する「好き」が、薄いのはずっと自分で分かっている。

 

私は自尊心が低い。

自分を肯定してくれるのは、過去の成功体験。

私には大した成功体験はない。

小さなものならあるだろうか。

描いた謎の絵を褒めてもらったこと。作ったネイルチップの写真を投稿したらいいねがついたこと。部活では「前よりよくなってるよ」と励ましてもらえたこと。メイクが上手になったねと言われたこと。日常の中でちょっとしたことを褒めてもらえたこと。

たくさんある。

 

これらは自分にとって、とても大切なもので、今その経験を全て奪われたら自分の元気や前向きな気持ちが全てなくなってしまうほど自分を作り上げている。

だけど、これらの「褒められた原因」はほとんど、自分のできる範囲の、大きな努力の必要のない事ではないかと思っている。

辛い気持ちを乗り越えたことはあるし、それが小さいことだとは思っていない。

だけど私は、ネガティブなものに負けないような努力じゃなくて、自分で壁をよじ登るような経験を自分ではしていないな、と気づいている。

 

UR not aloneで私の背中を押してくれるような私はいないし、背中を押して欲しいタイミングも、そういえば、そんなにない。

強いていうなら採用試験だろうか。強いていうなら。

 

 

自分にはできないと思っている。

だから頑張る気持ちも、興味も薄い。

そして出かけたい気持ちも、調べたい気持ちも薄い。

 

「好き」が薄いから熱中せず、結果的に自尊心が高くならないのか、

自尊心が低いから熱中できずに「好き」が大きくならないのか。

それはどっちが先かわからないが。

 

 

 

自信をつけたいと、いつも思っている。

頑張れるようになりたい。

頑張らない方法はもう知っているから、これから頑張りすぎてしまいそうになる私を止める準備はできてるから、どうにか頑張りたいことを見つけてくれないかな。

辛いところから適切に逃げる方法も過去に学んだから、大丈夫なんだけどな。

 

 

 

 

『できることならスティードで』を読んで、まずはいろんなことを体験しようと思った。

なのに今はこんな状況だ。

たくさん映画を見たいし、語彙力と表現力が欲しいから本を読んだほうがいいし、引きこもって何もしないのもいいけど、それはそれで落ち着かなくてずっと動いているんだから、たまには出かけたら楽しいし、腰をあげるべきだと思う。

なのにこれだ。

でもそれは仕方ない。

 

今思うと、今までの「好き」を軽々通り越した「好き」を発生させたシゲアキさんとNEWSに出会ってから、それまでよりも移動する距離は増えたし、軽々遊びに行けるようになったし(当社比。まだまだ遠出の計画するときの気分の乗らなさはある。)、「今までした事がないこと」を経験することで、新しい価値観を得られることはわかっているはずだ。

 

色々なものに触れて、楽しいこと、好きなことを増やして、その中で小さな成功体験をまた増やして、大好きなものを持って、だんだん、努力してまでも知りたいこと、やって見たいこと、得たいものに出会えたら、私は「ちゃんと頑張れる」と思うし、自信になる気がする。

 

 

私は初めに書いた、フォロワーさんのブログを読んで、すごいとしか思えなかった。

文章を書きたい気持ちの大きさも、出かけたいと思う気持ちがあるということも。

それから、私が書けないような文章だと思った。

本を読んで、そのような考えの広がり方をするのか。

 

私は本を読んだら少しでも感想を書くようにしている。

初めは2018年の2月で、シゲアキさんの本だ。

シゲアキさんの作る世界をできるだけ同じニュアンスで受け取りたいと思って、まずはやってみようと思い書き始めた。

(初めの方のブログ記事にも似たようなことが書いてあった。アウトプットは心がけている。が、ブログはかなり久々になってしまった。)

途中忙しくなり読むペースがかなり落ちて、2020年の4月末までに16冊。

きっと少ないのだろうと思うが、それより、内容がいつまでも「私っぽい」。

ずっと変わらない。思っていたことの整理と、浅い感想。

自分の文章っぽいな、という感覚はみんな持っているのだろうか。

分からないが、私は自分が書いた感想も、過去のブログも、文章が「私っぽい」のが恥ずかしくて消したい気持ちになることがある。

 

それにはスティードを読むときにも気がついていた。

だからいつもより、「感想らしい感想を書いてみよう」と思った。

感想らしい感想とはなんなのか、それはよくわからない。

だけど自分の書いた感想があまりにもずっと「私っぽい」から、変えなきゃいけない気がした。

とりあえず、内容と関係が少し離れてしまっても、自分の本当に思ったこと、考えていることを書いてみようとした。

いつもの私の感想と何が違うのかと言われると言葉に詰まるが、より「本当に」思ったこと、実感したことを書こうと思った。

これで自分の感想が変わるかと言われたらそうとは思えないし、変える必要があるわけでもないと思うが、「私っぽさ」がショボく見えて、とにかく少しは工夫しようと思ったのだ。

 

2月頃に受けた大学の講義で、「リフレクション」というものを学んだ。

授業の中で扱ったときは、リフレクションは「後から考えた感想ではなくて、そのときに感じたことを思い出してそれを言葉にする」というものだった。

それを実践した。

すごく難しいけど、後から考えた感想を書くよりも「後出し感」がなくて、自分の気持ちを書き留めている感じがすると思う。

 

Trip0、Trip9、Trip11、Trip12を読んだ感想の中には、このようなことが含まれていた。

「憧れを感じる場所を持ったり、その地に行ったり、黎明を感じたりするには 好奇心旺盛で、いろいろなことを吸収している必要があるのだと思った」

「私は、知りたいことに偏りがあって、知り方も一直線で広がりが無い。そもそも私に「知りたい」があるのかさえ分からなくなってきた。」

「私は本当に、海外に興味がないな、と感じた。シゲアキさんがこんなに海外の話をしても興味が沸かないのは出かける気がないからなのか。」

「最近 何かを達成するための努力をしていない。」「できるようになるための努力をたまにはしたい。好きなことを見つけよう。」

 

自分に対して「何かに興味を持ちなよ」「何かに触れて吸収しなよ」という圧のある感想。

(私は別に海外に興味を持つことが「興味」の全てだとは思っていないが、周りの友達が海外の歌手を好きになったり、言語を勉強したり、旅行に行きたいと言ったりする中で私はそう思ったことがないなと思った。)

 

 

Trip13、Last Trip、あとがき はまとめて読んで、感想もまとめて書いた。

「自分が若いと言い張れるうちに、いろいろなところに行って、沢山の人と関わるべきだと思う。今はずっと家にいるが、今の状況が良くなれば出かけたい。お金のムダとは思いたくない。節約しながらでも、どこかに出かけることはできるし、経験も増えるだろうし、会う人も増える。「若いうちにいろいろなことを経験しなさい」という大人が言いがちな言葉は、あながち間違ってないと思える。大人になってからではできなくなるから、ということだけではなく、もっとポジティブに、今だから分かることもあるだろうし、早く知っておくと良いこともあるとおもう。まずはこのケチ精神を改善して、前向きに生きていけたら良いと思う。」

結局、最後まで考えていることは同じだった。私っぽい。

ずっと同じ話をしている。

実感ではあるが、読んで思ったことなのか、書いていて後から湧き出てきたことなのか、区別は付いていない。

1ヶ月かけてスティードをゆっくり読んで、最後までたどり着いてやっと自分の考えをまとめたような感じだ。

 

だけど、だいぶ前向きな考えになっている気もする。

自分の考えの変化はあったのではないかと思う。

 

とにかく、いろいろなことに触れて。

シゲアキさんのようにいろいろなことに手を出すには、時間の使い方もうまくないし、器用でもないけど、

自分が「今頑張れているな」と思えるくらいまで、何かの努力をしてみたい。

そのために沢山動いて、億劫な気持ちを上手にコントロールして、新しい価値観を得て、

いつかその中の一つが好きなものになっているかもしれないし、という前向きな希望を忘れずに持っていたい。

 

シゲアキさんが過去にラジオで言っていたことが、私のノートに書かれている。

「”途中で嫌になるかも”って基本的には多分思ってるんだけど俺。でももしかしたら、一生の趣味になるかもって思うわけですよ。」

「”今後の人生に意味ないかも”も、今後の人生に意味ないかもしれないけど、意味あるかもって思うんですよね。」

「どんなに楽しいことでも、ちょっと努力しないといけない場面っていうのはきっとあるだろうしね。」

「まずは飛び込んでみる。勇気 のくせをつける。」「面倒臭くてもしんどくても怖くてもやってみないと、発見はないよね。」「ぜひ飛び込んでみて欲しいなと思います。」

フォローしている人の文字起こしを元にメモしたのでニュアンスだと思っていただけると助かりますが。

 

シゲアキさんが昔言ったことを、いまの私は実感できたのではないだろうか。

シゲアキさんの本を読んだことで、シゲアキさんの言っていたことを今、ブログを書きながら思い出して、近い意味で受け取れた気がする。

まだ行動を起こす前だが、実行できたらきっと少しずつ実感は強くなる。

 

いつかそれが自分の経験となって、自分の背中を押してくれるような存在になったら、

きっと自分のことを少しは好きになるし、自信になるだろうし、わざわざ自尊心を保とうとするための自分への励ましが減るかもしれない。

 

 

 

愛することは技術だと今読んでいる本の著者が言っている。

流されやすい性格なので、私もそう思えてきた。

愛するとは、自分も他人も含んだすべての人間に対するものだ。

自分を愛さずには、他人を愛すことはできない。

 

じゃあ自担を愛するには自分を愛さなくちゃいけないな。

 

別にシゲアキさんをもっと愛したいから自分を愛したいわけではない。

自尊心が低いとはいえ、自分のことは嫌いではないし、大事にしたいと思っているからだ。

だけど、自分には愛せるような内容はないかもしれない、と思っているから、自尊心が低くなる。

 

 

 

先日、22歳になってしまった。

私が自信をあまり持てないのは昔からで、それは私のいる環境によるものだったかもしれない。

それは私のせいではない。

だけど、成人して、それを改善するかしないかというのは自分の責任だと思っている。

 

 

 

 

22歳まで大きく育ってしまって、でもこの時点で自分に自信をつけようと考えをまとめられたことは、もしかしたら良いことかもしれない。

今は外に出かけて何かに触れることは難しいけど、人とコミュニケーションをとったり、本を読んだり、音楽を聴いたり、自分が続けていることをこれからも続けたり、自分の経験になりそうなことは沢山あると思う。

 

今年はやることが沢山あって、十分にそれらに没頭できないかもしれない。

だからこそ、自分の中でも優先順位がはっきりしてくるかもしれないし、前向きに考えていけたら良いと思う。

逃げ方は知っている。

忘れてしまうほど昔の高校時代にそれは学んだ。

自分が壊れないようにするのは昔から得意だから心配はしなくて良い。

 

 

若いと言い張れるのは何歳までだろうか。

「もう若くないな」と気がついてしまう前に、自分の経験と言えることを増やしていこうと思う。

努力が苦手でも、苦手なりに努力できるように。

 

ここまで書いてしまったら、これから意識せざるを得ない。

自分を奮い立たせて、億劫な気持ちには出て行ってもらって、自分のために工夫していこう。

いつか自分の人生にとって意味のあることが見つかるかもしれないから。

 

 

 

決意を、いつもお世話になっているフォロワーさんから見えるところに置いておきます。

 

かなり文字数が膨らんでしまいました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。